好きなことを語らないことにした

数時間前、とある定期更新されているブログを読んで「そういえば自分のブログ、ずっと放っておいていたな…」というのを思い出した。

正直、新しい物に手を付ける体力が落ちているのか好きなものがここ最近固定化されているし、高校の時ほど本を全く読まなくなったため、文章力の低下によって語彙が貧相になり、「いうて書いたとしても伝わらないだろうな…」で諦めていることが多々あるのである。

アニメ二期になってRe:valeというか百がメチャクチャ動いて喋って再燃して恐らく人生で一番課金してるソシャゲになったよありがとうトロイカ(アニメアイドリッシュセブン製作会社)だとか、遊助のライブ行こうと思ってチケット取って飛行機宿やら予約しても中止の二連敗を喫してるかなしいなだとか、TRPG滅茶苦茶楽しいねとか、にじさんじ甲子園最高ありがとうレインボール高校そして若女将3Dおめでとうとか、良いなあと思ったものに出会う旅に色々書きたいと思うことは沢山あった。でも行動に移せなかった。どうせ書いたところで自分にしかわからんことだろうなとか。あくまでもブログという第三者に公開している形式ではあるので、自分以外の誰かが見ても伝わる文を書きたいが、それを書くことが出来ないな。と。

なので潔く、「好きなものを語る」というこのブログの目的を取っ払うことにした。目的というか、「好きなものを語るぞ」と公言していることで縛られている部分もあったので。

タイトルもガラッと変えたのだが、本当タイトルとか名づけ考えるの難しいよな。シノビガミの奥義名とかダブルクロスのコードネームとか、そもそもとしてTRPGの自分の動かすキャラクターの名前決めることすら難しい。いつも最後に決めてる。作文や読書感想文を書いていた小学生の頃はタイトルから書いていたのに、いつからそうなったのだろう。タイトルを決めながら、もし自分に子供が出来る日が来たら、子供の名前は伴侶と言えるような存在にお任せするか占いで決めてもらうしかないなと思った。今でも納得がいってない部分があると言うか、微妙に感じてる部分があるのでいつか突然変わるかもしれません。でもそれより良いタイトルが生まれる自信もないので、なんだかんだでそのままでいるんだと思う。

 

タイトルの由来と、ここ最近のことを書こう。

青い鳥というのは、兄妹のチルチルとミチルが幸福の青い鳥を探しに行くという童話だ。結構好きな童話で、自分のTRPGのキャラクターのモチーフに用いたこともある。

ここ最近、私は「幸せとは何か」ということについてよく考えている。

精神が疲れているのか課題が疎かになり、ゲームへの現実逃避が多く、不眠症気味になっていたりで、「自分は本当にそれでいいのだろうか、来年就活やぞ」とふと考えてしまうことがあるだとか、最近よく回してるTRPGシナリオが「幸せ」をテーマにしたシナリオだったりだとか、「世界は愚かだとかうだうだ言いながらもなんだかんだで生きていくんだろうな」と思っていたツイッターのフォロワーがメンタルを崩し、定期的にガチの死にたいだの元気づけようとしたりしても「いやどうせ…」とかで堂々巡りになるくらいダメになる時があってままならないな、世界、人類、と思ったりとか、そのフォロワーの愛読本が「ほんとうのしあわせとはなんだろう」という文のある宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」であったりとか。

そんなこんなで幸せってなんだろうな、そして自分は今幸せなのだろうか、とよく考える。

つい最近21になったばかりで、来年は未知の領域である就活や卒論が待っている。就職後。もしかしたらあるかもしれない恋人や結婚、出産とかもあるのだろうか。色んな未来を考えるのが怖いと、今書いてて気づかされた。それはきっと、今が幸せではないから。今後もっと不幸になっていくのではないか。自分が今感じている「幸せじゃない」は序の口なのではないか。みたいな理由なんだと思う。

おそ松さんの一期EDの松野おそ松バージョンは、サビ前に「ひたすら遊んで暮らしてえ」という台詞が挟まる。おそ松さんを見ていたのは高校とかそこらだったのだけれども、社会人が迫った今となっては滅茶苦茶わかる。ひたすら遊んで暮らしてえよ。「大学の先輩は就活で平均何社受けました」とかこの前大学の講義で数値化したデータが出されて気持ち悪くなったよ。大学中退してえな、中退したら絶対楽になるよなとか思ったよ。でも遊んでばかりじゃ人生ままならないことも痛いほど理解しているよ。特に自分の親は高齢な方だから、いつまでも親の脛を齧ってばかりじゃいられないんだよな。

中学~高校あたりから漠然と「社会の底辺に落ちるのが怖い」という恐怖があって、「精神的に健常でありたい」だとか「変な病気で死にたくない」だとか「仕事しないニートで社会人や親に迷惑をかけたくない」だとか、そんなことを考えているが、正直だいぶこの思考に限界が近いんだと思う。かといって未だにそんな考えから脱却できそうにないし、するとしたらこの中のいずれか一つを満たした時なんだとも思う。基本的に失敗から何かを学ぶ人生ばかり送ってきた、後悔ばかりの人間なので。

 

きっと「幸せ」を見つけた時が、このブログのタイトルが変わる時なんだろう。いつまでも、いい感じに浮かばないブログタイトルと幸せを探している。そんなダブルニーミングで付けました。でも基本的に自分の言ったことをすぐ「やっぱナシ」にしたり、「そんなこと言ったっけ」するタイプでもあるので、ワンチャン明日には変わってるかもしれない。真っ新に生まれ変わってるかもしれないな(このブログはKing Gnuの『白日』を聞きながら書かれています)。

 

そんなこんなで心機一転となりますが、自分のツイッターを知っている人からしたら毒気やリアルな話が多くなるかもしれませんが、何卒よろしくお願い致します。