新卒1年目にしてうつ病になりました

タイトル通りの話である。

 

一時だけ小学生の頃、一本一本髪を抜くのがやめられなくなって円形脱毛症になったことがあった。

けど、美容室でそれを親同伴の目の前で宣言されてめちゃくちゃに怒られたこともあり必死に我慢して、なんとか克服した。今思えばなんで丁寧に抜けそうな髪を選別して抜いていたのか、コレガワカラナイ。

 

中学校に入って、見事に自己紹介で大失敗をかまし、いじられ(今思えばもはやいじめの範疇だと思う)キャラとなり、不登校がちになり、髪を引っ張って抜いたり(小学校の時とは異なり、髪を手でなびかせるようにして抜く脱毛ガチャみたいな感じ)、爪を噛むようになった。指だけじゃなくて、足も。髪はハゲない程度だったが、足は全く別。制服の影響で見られることはなかったが、絶対人に見せられる裸足ではなかった。

 

高校に入ってからはある程度落ち着いたが、とにかく反りが合わない教師と三年間付き合わされ、その授業だけ単位が危うい事態にまで陥った。マジで反りが合わず、授業中1:1になる時間が毎週あったのだが互いに無言でもはや授業とはなんだ、という状態だった。そういうこともあってか、高校生活自体はクラスも大きく変わり楽しいなーと感じてはいたし卒業式も泣きそうになったものの爪噛み、抜毛癖は抜けられないまま三年間を過ごした。

 

大学に入ってから、革命が起こった。「遊助」との出会いである。

あまりにも元気づけられたのと、いつかライブに行った時ちゃんと身だしなみを整えよう。握手会もあるみたいだし。と思って爪をちゃんと伸ばし始めた。少なくともハマった年の冬くらいまではちゃんと伸びていて、久しぶりに自分の爪のピンク色部分が長くなったのを見たような気がした。

 

けれど。

2021年、コロナウイルスの流行で、ライブが中止になった。

横浜港の屋外ライブ。チケットも当たって、宿と飛行機も旅行会社と相談して決めて、とても楽しみにしていたのに。よりにもよってクラスターとなり渦中となった横浜港近くでのライブ。中止は当然だった。

当時のバイト先からも「行くのやめておきな」と否定的なことを言われて傷ついていたのかもしれない。それでもうるせー知らねー行ってやんよ!!!と逆張り精神が心の位置エネルギーを高めていたからなのかもしれない。

大学でオンライン授業が加速して、家にいることが増えたからかもしれない。

どっちにしろメンタルの調子が悪くなって、再び爪を噛み始めた。一年間生やした爪がごっそりなくなった。

なんで噛んでいたのかはよく分からない。美味しい訳でもない。食感がいい訳でもない。血は出るばかりで後から噛んだ部分が痛くて後悔するだけなのに、何故なのか。未だに分からないまま、今も続いている。

 

そうして、社会人になって。

研修の時はとても楽しかった。普通に仕事としても社会人としても有意義な内容で、弊社の新卒にはゲーマーやオタクも多く、休憩時間や研修の打ち上げではそういった話題でめちゃくちゃ盛り上がった。アイナナの映画を一緒に見に行ったり、にじのセラフ推しということで誕生日にセラフぱぺをあげ、セラシロのためにカタシロを回した同期もいる。あと、前家に来た時にP5やってみたいと言っていた別の同期に誕生日にP5R贈ったりとか。高卒の子なので年下にベタ甘気質全開である。

仕事自体は面白かった。fun、としてではなく、interestingの意味で。

詳しい話をするともうメチャクチャにプライバシーでドえらいことになるので話せないが、とにかく興味深い内容だった。仕様が特殊で最初の頃は悩まされたりもしたが、慣れてくると案外それも楽しかった。ナンプレとかクロスワードとかお絵かきロジックとか解いた時の快感に近い。

けど。

うちの部署は元々人が少なく、「広く深く」を求められる部署だった。

研修の時、研修講師から1:1で講評を聞く機会があったのだが、皆ボロボロに言われてる中私だけ普通に褒められて終わったので、実力を鑑みてこの部署に入れられたのかもしれない。

「広く」に充てられてから、疲労が徐々に蓄積していった。

業務の幅が広がる。メインの仕事が追いつかない。正直言って説明が難しい業務内容なので自分自身理解が難しく理解しきれてない中、それを顧客に説明するのも難しいのに電話対応やメール対応に追われる。

前の部署からの引き継ぎが全然上手くいかず、こっちのせいじゃないのに謝ったりする上司の姿を見ては胃を痛め。

「今年頑張れば来年楽になるかもしれないから残業してでも頑張ろうね」という上司からのミーティングでの発言が、壊れるキッカケだったんじゃないかと思う。

残業してでも頑張る。奉仕精神は元々ある方で、前のバイト先では上司に定時過ぎて止められてでも「あともうちょっとで終わるので!」と言って仕事をやめなかったこともあった。

そんな奉仕精神のある人間と、「残業してでも頑張ろう」という言葉は、最悪の噛み合わせだった。

残業してでも頑張らなきゃ。頑張らなきゃチームが終わる。人が少ないから。なんとか知識をつけて頑張らなきゃ――

 

爪噛みと髪抜き癖がドンドン悪化して。

10月の頭くらいの、金曜日。

突然糸が切れたように、全部疲れて、仕事を休んだ。

心療内科に行った。薬を貰った。副作用が重くて、爪を噛む所ではなかった。爪が伸びた。

3連休明けの朝礼。

 

どうしてこうなった?

朝礼中、副作用がキツくてトイレに行こうと思ったら、意識が朦朧として、キツいからちょっとその場で座ってから行こうと思ったら、

気づいたら職場入口近くの椅子に座らされ、目を閉じることも出来ず、息を荒らげ、慌てる周りの声など耳に入らない自分がいた。過呼吸症状だ。

救急搬送される頃にはだいぶ落ち着いてきてはいたが、それでも症状は抜けきっていなくて、逆に落ち着いたせいかずっと目を閉じていた。救急搬送と意識不明の実績を解除したとか冗談言ってる場合じゃないな、と思ったことくらいしか覚えてない。

マジで救急搬送されると担架?でものすごいスピードで声かけしながら駆け上がって行って、病室に運ばれてベッドに寝かされるのか。圧倒的スピード感だったことはなんとなく覚えている。

点滴の実績も解除した。地味に腕が痛い。動きにくい。思ったより落ちていくスピードが遅い。本当にこれなくなるのか、と不安に思っていたら、親が病室に来てくれた。突然ぶっ倒れてごめん。娘が倒れたと聞いた時、どんな反応だったんだろう。いまだに怖くて聞けずにいる。

結果としてはストレス、薬の副作用、貧血(丁度生理明けくらいだった)の複合ではないか、とのことだった。その後心療内科過呼吸はストレス由来、と言う話を聞いたのでストレスなのだろうが。

午後には復活し、病院を出た。普通に運ばれて治療を受けた料金、高い。救急車を実質タクシーとして利用してる人みたいな話聞いたことあるけど実際治療受けたらマジでどうかしてると思う。そんな簡単に乗るんじゃない。ガチで乗る人は命とか身体かかってんねやぞ。

 

あれから心療内科を転々としたり、人事の人と面談を重ねながら、最終的に至った結論としては「うつ病」だった。

うつ病診断テスト的なものを初の心療内科でやったのだけれども、見事に平常、ちょっと平常じゃない、うつ病みたいな範囲の中で、うつ病の最高得点を叩き出していた。100点中100点満点と言うわけではない。それ以上の点はうつ病越えてどうなるんだろうと気になったけど、とにかく自分が「うつ病である」と言う事実で頭がいっぱいで、聞くことは出来なかった。

診断を受けてから人事の反応は早かった。元々「お前他の新卒と比べて明らかに入社したての頃から顔死んでるよ(要約)(実際はこんなに口悪くないです)」とか新人研修の講師の人事から言われていたり、「救急搬送はヤバいのでマジで心療内科とか行ってください(要約)」とかほかの人事から言われていたので、診断書を貰ってから休職までの流れがあっという間だった。

 

そうして、2ヶ月が経った。

最初は嗅覚過敏、唐突な胸の痛みから始まり、今となっては聴覚/嗅覚過敏、唐突な胸の痛み、涙が出そうな感覚がずっと続く、眠剤がないと1時間以上寝付けない、些細なことで落ち込むようになった(元々そうだったが更に深く落ち込むようになった)。子供の甲高い声を聞くのがキツくて、ストーリーゲーを受け入れる心の余裕もなくて、グラブルFGOといったコマンドで周回したりナンプレとかのパズルゲーばかりやっている。

 

何よりもショックだったのは、食欲が失せたこと。

去年の年末にいくらイーターをするレオス・ヴィンセントを見て「いいよねいくら……」といくらの彼氏面をしていたほどいくらが大好きだったが、いくらを含めた後味がするものをほとんど食べられなくなってしまった。味付け無しの焼き餅や、ドレッシングを大量にかけた野菜、ウイダー系のゼリー飲料、シンプルなスティックパンばかりを食べる生活で、肉はサラダに入ってる鶏ササミやハム以外ほとんど食べていない。なんならテレビで特集されていたハンバーグを見ただけで一瞬悪寒がした。一番好きだった食べ物だったのに。元々食への好奇心が薄く、10で言うなら3とかだったので、10に近づいている自分に酷くショックを受けた。

また、1TRPGの約束を何も見たくない、何も聞きたくない、激しい動悸といった症状でリスケして貰ったこともある。本当に申し訳ない。

 

そして、何よりも。

時折、「死」について考えるようになった。

死にたいとかではない。「死んだらどうなるんだろうな」とか「このマンションから飛び降りたらどうなるんだろうな」とか。もしものことを考えるようになった。あんなに生きたかったのに。生きたすぎて死ぬのが怖くて、生きたすぎて、一日が終わるのが怖くて眠れないような人だったのに。

TRPGのアカウントでも報告した時に書いたが、「仕事」が爆弾だったんじゃなくて、「仕事」が切っ掛けで二十数年間の時限爆弾が爆発したんだろうと思う。

だからこそこのうつ病とは長い付き合いになるんだろう。薬が変わって副作用が落ち着いてから結局爪噛み癖は再発しているし、髪も抜ける。というか抜く。今も書いてて泣きそうだ。

  元々自分自身ストレスを感じにくいタイプだと思っていたが、見ないふりをしているか、気づかないだけで実はめちゃくちゃ傷ついているタイプだった。

実は様々な事情で仕事を1月末で辞めることになるかもしれないし、本当……どうしようかな……と思ってる。いや本当にどうしよう!?去年やってた短期バイトの宛はあるけど今年も働けるかな!?わかんない!!朝起きられるのかそもそも!?

とまあ、そんな数ヶ月を過ごしていた。いる。

 

 

さて、突然だが「推し」の話をしよう。

鈴木達央がフリーになった。

フリーになった翌日のインスタライブで、己が犯した罪についてや、それでもあなたがいいんですとスタッフに言われたエピソード、復帰してから出たイベントの話等、色んな話をした。きっと事務所にいる時は言論統制を敷かれてたんだろうというくらい結構ガッツリ踏み込んでいて、その後のXでも非常に真面目な内容が多かった。

正直、昔の彼は「演技とその向き合い方が好きな声優」だったが、今なら言える。

人間性も含め、好きだと。

めちゃくちゃ反省していた。今でもSNSの投稿に怯えているらしい。けど時折出てくるツイ廃というかSNS慣れしてるような投稿に時々クスッとさせられる。でもすごく真面目になった。人としても。

――「推せる人間」だと、思えるようになった。

今度マーダーミステリーのイベントに出るらしい。許せねえ!!!!!!!!見たかった!!!!!!!!!これだから道民は!!!!!!!!とバチキレるくらいには好きだと思う(マーダーミステリーはロールプレイだけではなくプレイヤーの思考能力も試されるゲームなので)

彼はインスタライブで「この23ヶ月、自分と向き合ってきた(要約)」みたいなことを話していた。

23ヶ月よりも長い時間になるかもしれないが、いつか私もまたあの真っ白で虚無なXアイコンから今のように心から笑える日が来るのだろうか。

 

 

来ると、いいな。